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民主党の政権奪取――それは革命ではないが、しかしチェンジではある

民主党が選挙で第一党となり、これまでの日本における自民党の政治支配が転換することになった。

一部には民主党政権が誕生したことにより「革命的政権が誕生した…」と煽りのヨタ記事を書いている週刊誌やネット言論もあるようだが、もちろんそんな情況は出現しているわけではないのはご存知のとおり。

それでも民主党マニフェストなどの政策に、進歩的、民主的な側面もあることは事実で、問題はその部分をより徹底化、実践化させることが運動の課題だろう。

日本共産党の「建設的野党」という立ち位置の変更も、自身の影響力の確認とそれを認識してのより積極的アピールという思惑があり、それ自体は正しい。

ここでは、それについて立ち入るというよりも、仮に選挙で左派なり、革命的左翼が第一党になったばあいの政策の進め方を考察してみたい。

社会的な変革については一挙的におこなうことは困難だろうが、政府機構などの変革については常に準備しておかなければならない。

その際参考になるのは古典的だがレーニンの『国家と革命』だ。

国家の問題は、具体的に提起されている。すなわち、ブルジョア国家、ブルジョアジーの支配に必要な国家機構は、歴史的にはどのようにして発生したか? 国家機構はどんな変化をこうむったか、ブルジョア諸革命のあいだに、また被抑圧階級の自主的進出に直面して、国家機構はどのような進化をとげたか? この国家機構にたいするプロレタリアートの任務はなにか?

 ブルジョア社会に特有な中央集権的国家権力は、絶対主義の没落期に生まれた。この国家機構にとってもっとも特徴的な制度が二つある、――官僚制度と常備軍である。これらの制度が、ほかならぬブルジョアジーと数千の糸で結びついていることは、マルクスとエンゲルスの著作のなかで再三述べられている。どの労働者の経験も、この結びつきを、きわめて明瞭に、しみじみと思い知らせてくれる。労働者階級は、自分の肌でこの結びつきを認識するみちを学ぶ。――だからこそ労働者階級は、この結びつきの不可避性についての教訓をやすやすと把握し、しっかり身につけるのである。ところが、小ブルジョア民主主義者は、この教訓を、無知で軽率なために否定するか、それでなければいっそう軽率に「一般的には」承認しながら、それに合致する実践的な結論をくだすのを忘れている。

 官僚制度と常備軍、これはブルジョア社会の肉体にやどる「寄生体」、この社会をひきさく内的諸矛盾によって生みだされた寄生体、だがまさに生命の毛穴を「ふさぐ」寄生体である。今日公認の社会民主党内で支配的なカウツキー主義的日和見主義は、国家を寄生体と見る見解を、無政府主義だけに特有な属性だと見なしている。もちろん、マルクス主義のこのような歪曲は、「祖国擁護」の概念を帝国主義戦争に適用して、この戦争を正当化し粉飾するという、前代未聞の恥さらしな目に社会主義をあわせた小市民にとっては、きわめて好都合なものであるが、それでもこれは無条件の歪曲なのである。

 封建制度の没落以来ヨーロッパが数多く経験したすべてのブルジョア革命をつうじて、この官僚・軍事機関の発展、完成、強化がすすんでいる。とくに、小ブルジョアジーは、この機関をつうじて、いちじるしく大ブルジョアジーの側へひきつけられ、それに従属させられる。なぜならこの機関は、農民、小手工業者、商人等の上層に、比較的快適で、平穏で、名誉ある地位、その保持者を人民のうえに立たせる地位を与えるからである。一九一七年二月二十七日以後の半年間に、ロシアで起こったことをとってみたまえ。以前は黒百人組に優先的に与えられていた官吏の地位は、カデットとメンシェヴィキとエス・エルの分捕品になった。じっさい、本格的な改革のことはなにも考えず、この改革を「憲法制定議会まで」引き延ばすことにつとめ――そして憲法制定議会のほうは、これをずるずるべったりに戦争の終わりまで引き延ばそうとした! ところが、獲物の分配や、大臣、次官、総督等々への就任となると、ぐずぐずしてはいなかったし、憲法制定議会などを待ってはいなかった! 内閣の顔ぶれの組合せ遊びは、本質上、上下をつうじ、全国にわたり、中央・地方の行政府全体でおこなわれる、「獲物」のこうした分配と再分配の現われにほかならなかった。一九一七年二月二十七日から八月二十七日までの半年間の総括、客観的総括は、疑う余地がない。改革は延期され、官吏の地位の分配はおこなわれ、分配上の「誤り」は若干の再分配によって是正された。



 官僚制度と常備軍の廃止は常に念頭にあった。現実には官僚制度も常備軍も廃止できなかったのは周知の通りだが、レーニンは「マルクスの考えでは、労働者階級は「できあいの国家機構」を粉砕し、打ち砕くべきであって、それをそのまま奪取するにとどまってはならない」というのである。

両階級は、「官僚的・軍事的国家機構」が彼らを抑圧し、圧迫し、搾取するために、統一されている。この機構を粉砕し、打ち砕くこと――これが、「人民」の、人民の大多数の、労働者と農民の大多数との真の利益であり、これが貧農とプロレタリアとの自由な同盟の「前提条件」であって、このような同盟なしには、民主主義は不安定であり、社会主義的改造は不可能である。

 周知のように、パリ・コンミューンは、このような同盟への道をひらこうとしたが、内的・外的な幾多の原因によって、目的を達しなかった。



 レーニンは、『コンミューンは、破壊された国家機構をいっそう完全な民主主義ととりかえたに「すぎない」、すなわち、常備軍を廃止し、すべての公務員の完全な選挙制と解任制を採用したに「すぎない」ように見える。ところが実際には、この「すぎない」という言葉は、ある制度を、原則的に異なる他の制度と大々的にとりかえること』につながる、と書いている。

 さらに『あらゆる交際費や官吏の金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員の俸給の「労働者なみの賃金」水準への引下げ』を重要な指標としている。

 残念ながら革命後のロシアがレーニンがこう書いていたことを実践できなかったことは事実である。当然ながら革命後の内戦と外国からの干渉戦争にさらされ、国を立て直すため官吏・官僚が必要となり、賃金をそれなりの水準に保てなければ、専門家はいなくなってしまうために差をつけざるをえなかった(その後は是正がされてはいたが、賃金よりも、むしろ特権部分に官僚制の弊害が残った)。

 この<常備軍の廃止(「憲法九条」の実現!)>と<すべての公務員の完全な選挙制と解任制>は外国からの干渉・脅威(経済的にも軍事的にも)がある以上は現実的ではなくなる。また後者については党が国家・政府をコントロールしている現実では実践は不可能である。これを実践するには高度な教育と管理・運営システムが整備されなければならないが、それをつくるには官僚のシステムがよりよく機能しなければならず、ジレンマに陥ってしまう。なぜなら誰もが管理・運営できる政府機能であれば、官僚自体が発生しなくなるが、それは自らの存在を否定するものだからだ。自分たちが否定されるようなシステムの構築を積極的に推進するようなことを官僚たちが行うだろうか。

 しかし、そうはいってもこの問題を遡上にのせて討議する重要性を確認する必要がある。なにしろ現代では資本主義にせよ、社会主義にせよ、官僚制の支配うする国家となる、それは近代以降の現代国家の宿命ととらえる論者もいるのだから(元トロツキストのマックス・シャハトマンやジェームズ・バーナムらの「官僚制国家論」)。

 だから、問題意識として官僚制の国家を検討するのは正しいのである。官僚はただ存在するのではなく、国際的要因や資本・経済的要因から生成されて、自己を保存し権益を拡大していこうとするので、それに対するとらえかたが重要になる。

この項は改めて別に検討する…。


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