スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

グローバルな現代と国家のありかた

『現代帝国論』(山下範久 日本放送出版協会 2008年)は現代世界と帝国・国家を考えるうえでの視角を提供してくれる本だ。

複数の帝国的秩序=「近世帝国」 かつて世界が帝国でおおわれたいたが、近代のはじまりとともに解体され、グローバリゼーションが進展して共和制・資本家的生産の国民国家が成立していった。その後はどうなるのか。

著者はネグリ=ハートの『帝国』概念を検討しながら、べつな問題へと視点を移す。

ポランニー的不安の時代 ポランニーの『大転換』をもとに市場化の問題を点検する。
ポランニー『大転換』は市場の限界を説いたものだが、はたしてそれが第二次世界大戦後の社会に出現するのかどうか、である。著者はここで「社会の変容」を大胆にも提起する。
ポランニーが考察した社会が変わってしまっのではないかという仮説である。それは「人間」や「自然」が科学や環境の力でおおきく変えられてしまう社会であり、それは概念そのもを変更させてしまうものである。

次にアンドレ・ガンダー・フランクの『リオリエント―アジア時代のグローバルエコノミー』(山下範久訳 藤原書店 2000年)を検討する。

中国王朝の朝貢貿易システムが中華帝国=世界帝国として完成していたというのである。中国清朝の支配システムは皇帝を中心(文明)とするヒエラルキー構造(?)のような同心円にあるという。そしてこのシステムには外部がなく、外部とは野蛮であるとして回収されるという。
さらに内部にダブルスタンダードとしての文明をみとめて、いくつかの小中華を帝国内部に配置されていたという。

そして普遍主義の概観をみていく。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(渡部昇一訳 三笠書房 1992年)はソ連・東欧圏の崩壊、東西冷戦の終結を迎えてかかれた論文である。
リベラルな民主主義を人類統治の最終のかたちとして、「おおきな政治」的対立はもはやありえず、その意味で東西のイデオロギー対立は「歴史の終わり」を最終的に確認するものだ、というもの。彼の主張はいっけんグローバリゼーション賛美、西欧民主主義勝利、自由主義の確信の楽天的なものに思えるが、その主張の影のぶぶんに光をあてる。

その後のフクヤマは『「大崩壊」の時代―人間の本質と社会秩序の再構成(上下)』(早川書房 2000年)で、「ポランニー的不安」の危機感をあらわにする。

新自由主義がもたらす地域コミュニティ崩壊、社会資本関係(信頼関係)の危機を感得して、市場原理主義批判を展開する。そしてフクヤマが「国家の力」を容認するネオ・ホッブス主義へと傾いていると指摘する。
ここでニール・ファーガソンの大英帝国擁護論が紹介される。

まだ、邦訳のない『帝国』について、大英帝国の統治が自由主義、啓蒙主義の世界拡大に寄与したというもの。また、大英帝国の植民地統治が社会的インフラ(鉄道・通信など)整備だけではなく、行政、教育などの制度的なものや、優秀な若者たちが植民地近代化のために当地で骨をうずめたことなどを強調しているという。
さらに『コロッサス』という書においては、上記のような視点からアメリカ帝国を論じて、アメリカは世界帝国としての役割がふじゅうぶんであるという。

以上西欧近代の普遍的価値をやや保守的に擁護する立場の議論を概観したという印象だ。

現代の「シニカルな理性」を考察した章ではスラヴォイ・ジジックのシニシズムを紹介する。
世界の秩序は普遍主義の浸透により激化しているという。血の連続性や文化(言語など)連続などの超越的視点が仮構され、実体としての国民(ネーション)がたちあげられる。「ナショナリズムは普遍主義の症状」であるという。




スポンサーサイト

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

トラックバック

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

プロフィール

left

Author:left
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
CalendArchive
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。