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世界経済と市場社会―ポラニー「大転換」を読む


 私の若い頃ポラニーが流行ったことがある(より正確にいえば、経済人類学あるいは制度学派経済学か)。栗本慎一郎がまだ明治大学の教員のころ、自民党議員に成り下がる前にニューアカブームに乗って(彼はニューアカではないが)、ポラニーの本をバックにして「経済人類学」を触れ回ったことがあり、トロツキストだった湯浅赳男までが入れ込んでしまうというほど流行った。しかし、栗本はポラニーの普及よりも、社会のありかたを転換するような話し、とか「太陽の黒点が影響している」とかのトンデモ系の話しをするようになり、それ以上の学問的展開はなかったようだ。
友人がポラニーについて「市場は悪魔のひき臼」という言葉を印象ぶかく話していたことを思い出す。

 そんな事情もあり、最初からうさんくさいというイメージつきまとい、まったく読む気が起きなかった。いつか読むだろうと思っていたが、ちゃんと読むまでにずいぶんたってしまった。




 『大転換―市場社会の形成と崩壊―』カール・ポラニー/吉沢英成・野口建彦・長尾史郎・杉村芳美 訳/東洋経済新報社/1975年

 「利益の追求という個々の経済単位の極大化行動は、同時に、究極的には生産の分配の秩序を実現させるのであり、自己調整市場という独立した『制度』がこれを保証する」というが、ポラニーはここに古典派経済学の思想の根拠と方法の限界をみたという。
 「市場社会では、経済は社会から独立し、逆にそれを従属させるが、それ故にこそ、経済と社会、市場と経済の関係はきわだつ」とある(訳者あとがき)。

 「社会の実体である人間と自然、さらには生産組織を、市場の法則下に引きずりこむことによって成立するのである。それによって、社会は市場に生身をさらし、分解させられ、人間と自然は社会的実体としての質を失い、経済の単なる『要素』に転落する。これは人間としての実存の破壊であり、自然環境の破壊である。それは、社会そのものにとっての脅威である」



 こうして市場の脅威を借定し、それに対応する人間社会のリアクションを考察する。
 「社会階級の各々が自己の利害を主張し守るというかたちを通して生まれ」これらが歴史展開の動力になったとみる。
 さらに市場システムが社会に関わろうとすれば、それに対して大規模な保護措置を生み出さざるをえない。これが桎梏となり体制内部に緊張をおおきく醸成させてしまうという。
 これが帝国主義対立、為替への圧力、失業、階級対立という具体的な姿をあらわれ、1930年代~40年代の激動は市場社会の終焉であると同時に自己調整的市場に規定されない社会体制建設の開始がはじまるとみていた。―ファシズム、社会主義、ニューディールなど。

 以上を「大転換」とみているのだが、なんだか国家独占資本主義論の骨子をみるような感じだし、ウォーラステインの資本主義システム論のおおもとのようにも見える。

 「桎梏」の把握としては宇野派の資本主義社会における労働力商品化の矛盾が原理的な根拠をあたえるし、それに似たようなことも書いてある。さほどおもしろくはないのだが、新自由主義のグローバリゼーションが世界を覆っている今、リアリティをもって受け止められるのでは。
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テーマ : 世界金融危機
ジャンル : 政治・経済

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