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民主主義を更新しなければ社会主義には接近できない

最近あらためて『民主主義の革命』(エルネスト ラクラウ, シャンタル ムフ ちくま学芸文庫 2012年)を読みなおした。以前の大村書店版を読んでいて、いまいち分からなかったんで、再度読んだが分かりずらさは変わらない。それはこの本に由来することが確信できた。それは版が違うこともあるが、訳者がちがうのにもかかわらず、読みにくさは変わらないのである。原文そのものが勢いで書いてしまっているように感じる。概念規定など最初にいろいろあるはずなのだが、かなりすっ飛ばしてイキナリ歴史的な経過の話に入っている。


必要なのはヘゲモニー自体の検討ではなく。政治的な中身だろう。現代国家は階級融和の構成になっているという現実は新自由主義で必ずしもそうではなくなっている。つまり情勢は国によっていろいろあるということだろう。さらに、労働者に譲歩している政策や階級を解消させたいと願っている現代資本主義の政府の動向、分析が欠けているということ。

ラクラウとムフが現代の先進資本主義社会を肯定しているとは思えないが、さりとてレーニンの『国家と革命』や『何をなすべきか』を肯定、あるいは継承しているとも思えない。ラディカル・デモクラシーの中身はなんなのか? あまりに対立的を解消して相互に理解・和解できると考える根拠がわからない。
必要なのは現状の民主主義といわれている政治体制やシステム<代議制議会主義>の批判的な総括や対案だと思うがそれがないのは奇妙だ。

レーニン風にいうならば、「階級を認めるだけではなく、プロレタリア独裁を認めなければならない」という論理を彼岸化しているということだろう。

それがポストマルクス主義というならば、それもいいだろうが、そこから見えてくるのは
新自由主義のなかで理念を喪失している運動の行き着く先のような気がする。


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