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ハーヴェイ著『資本の<謎>―世界金融恐慌と21世紀資本主義』シンポ

5月19日シンポ ハーヴェイ著『資本の<謎>―世界金融恐慌と21世紀資本主義』をめぐって

伊藤誠、的場昭弘などが出席するシンポ。

明治大学リバティタワー 13:00~

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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

市場社会について

市場について、マルクスは所与のものとみていた、というか共同体外部の交換と交換から始まるものが商品経済の端緒だと想定していた。
すると共同体内に市場はなく

共同体→市場←共同体

という構図になる。

市場を前提として資本が価値増殖を続ける主体であり、それが中心となる社会、とするなら同義だと思うが
市場(世界や国内・地域)で展開される価値法則をつらぬく社会が資本主義として、とらえられる。

世界経済と市場社会―ポラニー「大転換」を読む


 私の若い頃ポラニーが流行ったことがある(より正確にいえば、経済人類学あるいは制度学派経済学か)。栗本慎一郎がまだ明治大学の教員のころ、自民党議員に成り下がる前にニューアカブームに乗って(彼はニューアカではないが)、ポラニーの本をバックにして「経済人類学」を触れ回ったことがあり、トロツキストだった湯浅赳男までが入れ込んでしまうというほど流行った。しかし、栗本はポラニーの普及よりも、社会のありかたを転換するような話し、とか「太陽の黒点が影響している」とかのトンデモ系の話しをするようになり、それ以上の学問的展開はなかったようだ。
友人がポラニーについて「市場は悪魔のひき臼」という言葉を印象ぶかく話していたことを思い出す。

 そんな事情もあり、最初からうさんくさいというイメージつきまとい、まったく読む気が起きなかった。いつか読むだろうと思っていたが、ちゃんと読むまでにずいぶんたってしまった。




 『大転換―市場社会の形成と崩壊―』カール・ポラニー/吉沢英成・野口建彦・長尾史郎・杉村芳美 訳/東洋経済新報社/1975年

 「利益の追求という個々の経済単位の極大化行動は、同時に、究極的には生産の分配の秩序を実現させるのであり、自己調整市場という独立した『制度』がこれを保証する」というが、ポラニーはここに古典派経済学の思想の根拠と方法の限界をみたという。
 「市場社会では、経済は社会から独立し、逆にそれを従属させるが、それ故にこそ、経済と社会、市場と経済の関係はきわだつ」とある(訳者あとがき)。

 「社会の実体である人間と自然、さらには生産組織を、市場の法則下に引きずりこむことによって成立するのである。それによって、社会は市場に生身をさらし、分解させられ、人間と自然は社会的実体としての質を失い、経済の単なる『要素』に転落する。これは人間としての実存の破壊であり、自然環境の破壊である。それは、社会そのものにとっての脅威である」



 こうして市場の脅威を借定し、それに対応する人間社会のリアクションを考察する。
 「社会階級の各々が自己の利害を主張し守るというかたちを通して生まれ」これらが歴史展開の動力になったとみる。
 さらに市場システムが社会に関わろうとすれば、それに対して大規模な保護措置を生み出さざるをえない。これが桎梏となり体制内部に緊張をおおきく醸成させてしまうという。
 これが帝国主義対立、為替への圧力、失業、階級対立という具体的な姿をあらわれ、1930年代~40年代の激動は市場社会の終焉であると同時に自己調整的市場に規定されない社会体制建設の開始がはじまるとみていた。―ファシズム、社会主義、ニューディールなど。

 以上を「大転換」とみているのだが、なんだか国家独占資本主義論の骨子をみるような感じだし、ウォーラステインの資本主義システム論のおおもとのようにも見える。

 「桎梏」の把握としては宇野派の資本主義社会における労働力商品化の矛盾が原理的な根拠をあたえるし、それに似たようなことも書いてある。さほどおもしろくはないのだが、新自由主義のグローバリゼーションが世界を覆っている今、リアリティをもって受け止められるのでは。

テーマ : 世界金融危機
ジャンル : 政治・経済

「品位ある資本主義」とは?

 ちょっと気になるというか、挑発的なタイトルの本が気になった。
 『品位ある資本主義』(相沢幸悦 平凡社/2006年)は経済不況の以前だが、新自由主義とカジノ経済化している今の資本主義社会をまっとうに批判している。文書も平易で読みやすい…て、それはいいのだが、著者は「品位ある資本主義」をドイツの資本主義社会にみているようである。
 最初は品位を失った日本の経済について書かれており、アメリカ型資本主義の導入を批判して、さらに本家のアメリカの資本主義を批判している。よくある西欧型資本主義と米国型資本主義の比較かと思うとそうでもない。
 そしてヨーロッパ経済のありかたを紹介して、最後のほうでは、日本の土地を国有化したほうがいいと神託する。これって社会主義じゃん!
 著者は社会民主主義という概念をしらないのだろうか? それとも田原総一郎あたりから、「社民」とか攻撃されるのが怖いのかもしれない(冗談だが)。
 現象的な資本主義批判はそれなりだが、ともかく経済制度について資本主義を批判するのであれば、資本主義生産の矛盾を押さえてほしいと思う。
 そうしないと資本制経済と市場経済がもっている暴力性が理解できないのではないだろうか。
 これに関連して連想するのが日本共産党が最近使っている「ルールある経済社会」と「資本主義の枠内での改革」である。
 ふたつの言葉は基本的には同様なことを語っている。
 ルールあるというのは規制のことだし、経済社会とは資本制経済社会のことだろう。もちろん別な(資本システムを使わない)経済もあるうるだろうが、その説明をしていないし、構想もないだろう。いっぽう資本主義の枠内ということは、今の経済システムを前提にして規制と変革を進めるというものだろうが、それはかつての社会民主主義とどう違うのかは明確ではない(基本的には同様だと思えるが…)。
 結局のところ資本主義のヨーロッパ的なありかたに希望を見出しているようだが…。
 果たして展望は見えるのだろうか?

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

新自由主義グローバリゼーションは資本制社会のあらたな段階か!?

半資本主義VS反資本主義
 新自由主義グローバリゼーションは資本制社会のあらたな段階か!?

 高橋洋児の『「マルクスを活用する』(彩流社 2008年)を読んだが、高橋によればマルクスは「資本論」のなかで資本主義という言葉はひとつしかでてこない、あとは資本制生産あるいは資本家的生産様式という用語だという。

 これはどういうことなのだろう。思うに重商主義や自由主義というような、経済政策などの基盤になる思想とは別だからではないか。

 近代資本主義じたいは自由主義の価値観をそのまま胚胎して成長していったと思う。市場経済をつうじて社会発展をおこない。私的占有と自由な競争の重視。思想としては個人の自由の尊重、法の尊重、権力の分立と議会制度の確立などを求めていった。

 やがて商品生産社会が資本に基づく資本生産社会<商品の二要因(交換価値・使用価値):貨幣の必然性>へと発展していく。

 高橋洋児の本には過度に昨今の反グローバリゼーション・反新自由主義者への反駁の色合いが強い。資本のもつ文明化作用というものをマルクスが評価していたということをしきりに強調して、それを肯定しているようだ。
 
 それはいいのだが、文明化作用といっても、プラスの側面を評価しているにすぎない。結果犠牲をともない、それに抵抗や被害を蒙る人たちもいるわけで、そのあたりは是々非々ということでしかないわけだが、そのあたりについては記述がない。

 その点で『まんが 反新自由主義入門』エセキエル・アダモフスキ文、イラストレータ連合絵、伊香祝子訳(明石書店 2007.11)は明確に反資本主義の本である。

 アルゼンチンの研究者が書いたものだが、今の運動のあり方を理解できる本だ。ただ著者はネグリなどの影響を受けており、マルクス主義とアナキズムの折衷のような気がする。

 まあ、いいとこ取りをすれば、そうなるしかないのだが、資本制経済が経済原則として有効であるという点から考えれば、反資本主義ではなく半資本主義として目標設定を変更しなければならないかもしれない。
 もともと資本主義がイギリスをモデルにしてきたが、国ごとに変容をとげて政治による規制や政策をとおしての修正がおこなわれるようになってきた。その意味で資本主義は修正資本主義なのである。
 アメリカでは今でこそ市場万能主義の見方が主流だが、それ以前はケインズ主義で政府・国家が市場経済に介入していたわけで、新自由主義の破綻をうけて、オバマ政権は舵取りを変えてくるだろう。しかし右顧左眄ということになる可能性もあるが。

テーマ : 新自由主義
ジャンル : 政治・経済

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