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国民国家とナショナリズム

 宮台慎司はナショナリズムを称揚しているようだ(天皇についても支持しているようだが)。

 ナショナリズム=国民主義として近代国家の普遍的なありかたとして認識しているようだ。自立した市民社会の個人の意思により憲法が制定されてそれによってなりたつ権力を基盤とした国家を肯定するものとして語っているようだ。

 しかし、それはあまりに理想主義であり、抽象的で、現実的ではないだろう。

 ベネディクト・アンダーソンが「幻想の共同体」とよんだように、後発して世界のなかで独立していった国は、国家形成において先行する帝国の形態を学んだ結果として成立している。

 民族国家=国民国家という形式があたかも所与の前提のように語られるが、コソボ独立をみるようにそう単純ではなくなっている。

 たとえば日本人といったときに沖縄人やアイヌ人などの土着の民族や気化した(たんに日本国籍を取得しただけなのだが)欧米系白人や中国人、韓国人などのアジア人たち、そして在日朝鮮人。
 これらについては想定されているのだろうか?


 バートランド・ラッセルは国民主義について帝国主義と民族自決主義をあげている。帝国主義はかたちとしてナチスのようなファシズムとも合致するようになり、またイギリスでの大英帝国という国民国家意識として定着するようになった。

 大英帝国の帝国意識が労働者階級に浸透するようになったのはミュージック・ホールという労働者の娯楽施設が普及することにより、大衆意識として形成されたとする研究もあるが、他愛ない内容の歌が流行することで意識がつくられたというべきか。ともかくよその国は馬鹿であるといった差別・排外主義というものがみられる。

 帝国における国民主義というものは、結局のところ国力や国益なる「国民国家」という幻想にとらわれているにすぎない。自分がその国家の一員として、限りなく帝国を強化する方向へ向かうしかないだろう。

 日本という帝国での国民主義とはアジアの国々を操作・統括・従属させる発想でしか生まれてこないだろう。それを否定したら国民主義ではなく「アジア主義」(別に戦前の大陸浪人や右翼の考えではないが)として定立させることになるだろう。

 ナショナリズム=国民主義として考える時代なのだろうか。それはおおいなる錯覚であり、国家は既に引き裂かれているのである。
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テーマ : 憂国
ジャンル : 政治・経済

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