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資本の反復

■国家と資本の世界史的段階


1750~1810(後期重商主義、帝国主義的、商人資本、繊維産業中心、絶対主義王権)

1810~1870(自由主義、英国がヘゲモニー国家、自由主義的、産業資本、軽工業が世界商品、国民国家)

1870~1930(帝国主義、帝国主義的、金融資本、重工業、帝国主義国家)

1930~1990(後期資本主義、米国がヘゲモニー国家、自由主義的、国家独占資本、恒久消費財、福祉国家)

1990~(新自由主義、帝国主義的、多国籍資本、情報が世界商品、地域主義国家)

60年毎の区分



※ヘゲモニー国家は、生産・商業・金融の三つの面で優位に立つ。生産部門でヘゲモニーを失っても、商業や金融部門では長く維持する。1990年代のアメリカがそうである。

―「帝国主義的」とは、ヘゲモニー国家が衰退したが、それに取って代わるものがなく、次のヘゲモニー国家を目指して熾烈な競争をする時代、1990年以降はそのような時代である。「新自由主義」は、アメリカがヘゲモニー国家であった冷戦時代が終わり、「帝国主義的」となったときに出てきた経済政策である。「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムである。アメリカの没落に応じて、EUをはじめ、中国、インドなど広域国家が各地に形成される。それは、1870年以降の状況と似ている。

―この類似は東アジアの文脈で見ると、もっと切実である。現在東アジアで進行している事態は1930年代との比較で考えられてきた。そこでは、戦前の問題が今なお大きな影を落としている。しかし、現在ロシアはソ連ではなく、旧ロシア帝国のようになり、中国は分裂している状態ではなく、政治・経済的に巨大な、120年前と同じ存在となっている。

―120年前、清朝は世界帝国であった。その周辺国である日本が旧体制を倒して開国したのに対して、朝鮮の李朝は清朝を宗主国として鎖国を維持しようとした。それが日清戦争に帰結した。日清戦争の後に清朝が日本に譲渡したのが台湾である。現在の東アジアの構造は、120年前に形成されたものであり、 1930年にはなくなっていたのである。

―現在の情勢は、1930年代よりも、1880年代に類似するといわねばならない。東アジアにはこのような反復的構造がある。このような構造は世界的な規模で存在する。

―1890年代、ヨーロッパでは、社会民主主義政党が急激に拡大した。しかし第一次大戦において彼らは国民の利益のために参戦に踏み切った。それは過去の問題ではない。日本ではアメリカと同様に、ついこの前まで新自由主義(社会ダーウィニズム)を唱和していた状態から、急激に福祉政策・社会主義への関心が広まりつつある。しかし、それがまた急激に保護主義・排外主義に転化しない保証は何もない。だから、資本=ネーション=国家に関する根本的な認識が必要なのである。


柄谷行人 「国家と資本―反復的構造は世界的な規模で存在する」(「朝日ジャーナル」特別号 2009年)

帝国主義=覇権主義の形態と考えると、常に存在しているとかんがえられる→ギャラハー・ロビンソンの「自由貿易帝国主義論」

国家が存在しないと資本は活動できない。より正確にいえば資本を国家が保証する。
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資本=ネーション=国家について

 柄谷行人が「資本=ネーション=国家」というトリニティによって現代世界が構成されていると語っている。
 その場合の資本とネーション(民族)はわかるが国家というのは同列に扱えるものなのか疑問だ。
 仮にその三角の統合というかトリアーデ体系が同じ比重ではないだろう。

 国家は資本にもネーションにもかかわるが、ネーションと資本のかかわりは薄いだろう。
 「民族資本」といういいかたもあるが、あくまで資本の運動としての表出ではないか。

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ウィットフォーゲルと安吾

ウィットフォーゲルについて言及している座談

 雑誌「国文学」(2005年)で坂口安吾を特集していた。ちょっと立ち読みしたが、

 そこの座談会で柄谷行人と湯浅赳男が出席していたのには驚いた。湯浅赳男については彼が太田龍のグループに加わって、トロツキーの文献について収集していたことなど、これまでの自分の歩みを率直に語っていた。彼が経済人類学にひかれて、方向性がやや大風呂敷な枠組みになり、ちょっと理解できないものとなった。この対談でも、自分がいかにイジメられていたかを語っているが、ちょっと情けない感じではある。いっぱい本だしてるしいいんじゃない。

 柄谷行人のほうは永続革命の批判をしていたが、どうもよくわからない。坂口安吾よりもウィットフォーゲルについての話が核心的テーマになっているという奇妙な座談会。

 柄谷はアメリカでの客員教授時代にウィットフォーゲルの講演をじかに聞いているようだ。
 

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階級論がみえない柄谷行人

階級論がみえない柄谷行人

 柄谷行人『日本精神分析』(講談社)を読む。

 講演のスタイル、あるいは講演をもとにしたものなので読みやすい。端的に彼の論理を知るのにてっとりばいのでいいと思う。

 民主主義のありかたを考えさせらるものだ。

 気になったのは階級論あるいは階級闘争について、よくわからない、というかあまり言及していないのだが、彼はあまり労働運動について重視していないようなのだ。

 経済闘争を否定しているわけではないとは思うが、政治と経済をどう認識しているのか、現実の世界ではまったく別に見えているのが問題なわけで、それを止揚するのが党に課せられた問題であり、運動なわけだが。それをことさら言うわけではない。

 いっぽうで菊池寛を引用して戦前の日本共産党の革命論を批判しているが、当時の日本の状況では議会で穏健的に変革していく可能性があったかどうかは疑問である。

 急進主義的な要素は多分にあったとおもうが、労働者のなかでも階級的に先鋭化したものもあったので、政治主義だけの問題ではないはずだ。

 柄谷のばあい文芸批評から出発しているので、どうも文学チック(いい意味でもわるい意味でも)すぎるかな。

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